拡大期

1960~1970年代
直接販売で事業拡大、お客さまニーズからの市場創出、海外進出とM&A
写真:デモ・カー商法の様子

1960年には業界では珍しいトラックにマシンを積んでお客さまのところに出掛けるデモ・カー商法を採用し、お客さまから大好評を得ました。1971年にはアメリカ シアトル市に技術開発会社を設立し、NCタレットパンチプレス(NCT)を開発。「タレパン」という俗称が一般名称化するほどの革命を起こし、新たな市場を創り出しました。

  • アイコン会社の出来事
  • アイコン販売・サービス
  • アイコン技術開発
  • アイコン製造体制
1960
デモ・カーによる直接販売開始
1961
神奈川県伊勢原町(現 伊勢原市)に伊勢原工場をオープン
1963
兵庫県小野市の匠技術研究所(帯鋸刃の製造業)を吸収合併
バンドソーブレード「A・AA・BB」販売開始写真:バンドソーブレード「A・AA・BB」
1964
株式会社アマダに商号変更
1965
プロメカム・シッソン・レーマンと技術援助契約
ベンディングマシンの製造・販売を開始
小型ベンディングマシン「RGシリーズ」発売写真:小型ベンディングマシン「RGシリーズ」
直販体制を確立、営業所制度を開始
代理店販売から直接販売へシフト
ユー・エス・インダストリーズと技術提携
プレスマシンの製造・販売を開始
日本初の湿式クラッチ採用プレス「TPシリーズ」発売写真:技術提携
1967
国内初のハイスバイメタルバンドソーブレードの開発
バイメタルブレード「GLBシリーズ」発売
1969
本店所在地を神奈川県伊勢原町(現 伊勢原市)に移転
東京証券取引所1部上場
1971
アメリカ シアトル市に技術開発会社 USアマダ(現 アマダノースアメリカ)設立
NCタレットパンチプレス開発
世界に先駆け、NCT1号機「LYLA-555」を発売写真:NCT1号機「LYLA-555」
1972
イギリス バーミンガム市に現地法人アマダユーケーを設立
ドイツ デュッセルドルフ市にドイツアマダを設立
宮地電子株式会社(現 アマダ微細溶接事業)が抵抗溶接用測定器を開発
1973
園池製作所の第三者割当増資引受により同社株式の49.4%を取得
帯鋸盤および金型の製造を委託写真:園池製作所
淀川プレス製作所の株式の30%を取得し、メカニカルプレスの生産を委託
1975
鉄構加工機開発 ドリリングマシン「6BH-1000」を発売
1977
三正製作所(研削盤製造業)の再建を引き受け
1978
ワシノ機械の株式の16.7%を取得し、メカニカルプレスの製造を委託
民間初の金属加工機械専門の職業訓練法人アマダスクールを設立
神奈川県伊勢原市にアマダ・マシンツールプラザをオープン写真:アマダ・マシンツールプラザ