変革と挑戦の歴史
アマダグループは「金属加工機械のグローバルメーカー」として、常にお客さまと社会のモノづくりを支えてきました。とくに、私たちが大切にしている経営理念の一つ「お客さまとともに発展する」は、創業の時から変わらない社員一人ひとりに刻み込まれた想いです。そして、モノづくりを通じて、これまで以上にお客さまと社会に貢献すべく「変革」と「挑戦」を繰り返し、さらなる成長を続けていきます。
- 創業期
- 始まりは1台の旋盤から

創業者の天田勇は、終戦後の軍需工場に焼け残った旋盤を用いて、個人経営の小さな機械修理工場を開設し、天田製作所(現 アマダ)を立ち上げました。天田勇がたった1人で機械修理業を始めてから社員が3人、4人と増えてきたころ、天田夫人の弟である江守龍治(後のアマダ会長)が事業に加わることで、経営と技術の両面が強化されました。詳しく見る
- 拡大期
- 直接販売で事業拡大、お客さまニーズからの市場創出、海外進出とM&A

1960年には業界では珍しいトラックにマシンを積んでお客さまのところに出掛けるデモ・カー商法を採用し、お客さまから大好評を得ました。1971年にはアメリカ シアトル市に技術開発会社を設立し、NCタレットパンチプレス(NCT)を開発。「タレパン」という俗称が一般名称化するほどの革命を起こし、新たな市場を創り出しました。詳しく見る
- 躍進期
- レーザ加工機を実用化し、今日のレーザ技術の礎を築く

日本で初めてレーザマシン単体機「LASMAC-644」を開発。板金加工機械として商品化し、1971年のNCTに並ぶ技術革新を果たしました。今日のレーザ技術の礎を築くとともに、高速、高品質、省エネに挑戦し続けるアマダのレーザ開発技術の歴史の幕開けとなりました。詳しく見る
- 発展期
- 機械メーカーとして初めてファイバーレーザ発振器を開発

2007年、現在の富士宮事業所内にレーザ専用工場を完成させました。2010年には、機械メーカーとして初めてファイバーレーザ発振器を開発し、同発振器を搭載した加工機「FOL-3015AJ」を発表。日本国内の企業は、発振器の多くを世界シェアの過半を占める米国メーカーからの調達に頼っていましたが、自社製発振器を持つことで、コスト、納期、アフターサービスなどすべて自社で対応することが可能となりました。詳しく見る
- 変革期
- 共創から未来へ
100年企業に向けた「変革」と「挑戦」

2023年2月、神奈川県伊勢原市の本社内に「アマダ・グローバルイノベーションセンター(AGIC)」をオープン。「お客さまとともに金属加工の『未来』を共創する空間」をコンセプトにお客さまのモノづくり現場の課題を解決します。「まだないモノを、アマダとつくる。」のブランドメッセージを実現するため「変革」と「挑戦」を続けていきます。詳しく見る