個人投資家の皆さまへ

アマダグループのあゆみ

お客さまとともに成長を続けてきた70年の軌跡

当時32歳の天田 勇は、終戦後の軍需工場に残った旋盤を用いて、個人経営のささやかな機械修理工場を開設しました。これがアマダグループの創業であり、すべては焼け残った旋盤1台から始まったのです。

焼け旋盤

欧米ではすでに普及していたバンドソー(帯鋸盤)の国産化に挑戦。設計開始から3カ月で完成させた第1号機は、輸入品に劣らぬ性能で好評を博しました。これが、アマダグループの機械メーカーとしての第一歩となりました。

縦型帯鋸盤「コンターマシン」

お客さまのもとに機械を運んで実演するデモ・カー販売を開始。この独創的な営業手法は、後に展示場販売に変遷し、今日のテクニカルセンターを活用した「エンジニアリング提案」へと発展しました。

デモ・カー販売の様子

板金加工の先端技術を吸収するため、米国にU.S.アマダを設立。同社が開発したNCタレットパンチプレスは、当時最大の課題とされた穴あけ加工の精度向上に寄与する画期的な商品として、世界各地で好評を博しました。

NCタレットパンチプレス「LYLA-555」

まだレーザが普及していなかった当時、金型を使用しない革新的な板金加工技術としてレーザに着目し、切断用途のレーザマシンの実用化に成功。この時期からの蓄積が、今日のレーザ技術の礎になっているのです。

レーザマシン「LASMAC-644」

1980年代はアメリカやフランスなど欧米に生産会社を設立するなど海外生産が進みました。業容の拡大とともに1982年に1,000億円だった売上高は1990年には2,000億円を突破しました。また、1990年代は中国に販売会社、生産会社を立て続けに設立するなど、アジアへの進出を本格化させ、グローバル企業への歩みを強めました。

グループ再編により製販一体となった体制へ変革。金属加工に対応する商品群を、ソフトウエアや周辺装置、保守サービスとあわせて提供する「金属加工機械の総合メーカー」としての基盤を確立しました。

機械メーカーとしては世界で初めてファイバーレーザ発振器の自社開発に成功。CO2レーザに代わる次世代技術であるファイバーレーザを搭載したことで、難加工素材への対応や、高いエネルギー効率を生かした省エネ提案が可能になり、トータルソリューションがさらに充実しました。

ファイバーレーザ発振器
ファイバーレーザマシン「FOL-3015AJ」

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