自動車セールスマンとして活躍した20代
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「私は生まれ落ちたときから、父のあとを継ぐと運命づけられていたのでしょう。何しろ名前が『良継』なのですから…」と笑いながら話すのが、今年1月にアドヴァンスの専務に就任した堀 良継さんだ。その横で父の堀 良輝社長が一瞬顔をほころばす。
とてもいい関係に見える父と息子だが、すんなりと息子が自らの運命を受け入れてきたわけではない。小学生の頃は日曜日に父と遊園地に行く友達がうらやましかった。その一方、堀社長は日曜日も工場へ、そして若き堀専務もしばしば手伝うことに。しかし成長とともに足は工場から遠のく。好きなことができたからだ。それは板金ではなく、自動車であった。
自動車に興味を持ち始めた堀専務。大学では機械工学科で、自動車について学び、整備士を目指す。就職は地元の自動車ディーラーへ。しかしここで誤算が生じる。整備士になるつもりが、大卒は営業しか取らないといわれる。迷う堀専務だったが、好きな自動車に関わりたい気持ちが強く、就職を決めた。
「トップセールスマンとはいいませんが、結構成績はよかったですね。話し下手だった自分が、お客様の前では流暢に話せ、車を買ってもらえた。とても勉強になったし、自信が持てました」と、セールスマン時代を振り返る。物怖じすることなく、コミュニケーションが取れるようになった自分に、堀専務は成長を感じとった。しかし、セールスマンとしての活躍は5年で終止符が打たれる。「28歳になり、30代が見えてきたとき、将来のことを考え始めました。このまま別の会社にいるより、父の会社に入り、父と苦楽をともにしながら、自分を成長させたいと思うようになったのです」と、堀専務は当時の心境を語る。
自動車営業を通して、自分の裁量で仕事をする楽しさを知った堀専務。今度は営業だけではなく、もっとフィールドを広げて、仕事をしてみたいと感じるようになった。そのチャンスは実は生まれたときから目の前にあり、そのことに気づいた堀専務は将来の進むべき道を決める。いまから4年前の2001(平成13)年のことである。
しかし、すぐにアドヴァンスに入社しなかった。営業経験はあったが、板金加工については、基礎知識がなかった。入社後、父に教わるという選択肢もあったが、自分で一から学ぶことを選ぶ。父に余計な負担をかけたくなかったし、甘えたくなかった。板金加工の基礎を学べるところを探し、県のポリテクセンターのテクニカルメタルワーク科で、半年間学ぶことにした。
そして、2002(平成14)年10月、ようやく堀専務はアドヴァンス入社を果たす。入社後は納品を兼ねて得意先回りを始めながら、社内外の環境や自分自身を見つめていく。そこで、一つ重要な点に気づく。会社経営とはどういうことか、経営者の姿とはどういうものか。根本的、かつ最も重要な課題に直面していった。経営者を目指すには、社員の誰よりも経営について理解していなければならない。しかし自分はまだ経営のイロハすら知らない。この課題に応えてくれる場を探し、見つけ出したのがJMCだった。そして、翌年の初めにJMCの門をたたいた。 |
JMCで経営者の役割と父の存在の大きさを感じ取る
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「JMCで経営とは…、会社のあり方とは…を学んでいくと、うちの会社とはまるでかけ離れたものでした。しかし会社は黒字が続いている。なぜだろうと考えると、その答えは父にありました。社長である父が会社のすべてを取り仕切り、ここまで築いてきた。父の存在の大きさを知るとともに、感謝の気持ちが起こりました」と、堀専務はJMCの受講で経営者の大変さを感じ取る。
しかし、同時に現状のままでいいのかという疑問にぶつかる。社長の頭の中ですべてが完結される経営には限界があると、JMCの受講で確信する。自分がJMCで学んでいることを会社に活かせれば、いまの業績をもっとよくできるのではないか。そんな思いが日増しに強まり、「会社を変えよう」、堀専務の決意は固まっていった。
JMCのもう一つの思い出は人との出会いであった。堀専務の同期は少人数だったが、これをアマダスクールのスタッフがサポートした。スタッフが受講生と一緒に課題に取り組み、よき兄貴分として、相談相手になってくれた。「スタッフの方には本当にお世話になりました。深夜まで付き合ってくれて、お酒を飲みながら、人生論を戦わせたのは本当にいい思い出です。いまでも時々連絡をくれて、気にかけていただいていることをうれしく思います」(堀専務) |
会社の将来を考え組織化を図る
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『会社を変える』。新たな決意のもと、会社に戻った堀専務だったが、決して急ぐことはなかった。
「『改革に抵抗はつきもの。改革の必要性を理解させるには時間が必要、急いではならない』と、JMCの先輩にアドバイスをもらいました。アドバイスに忠実に、約1年をかけて、私の思いと考えを社長に、社員に伝えてきたつもりです。そして、ようやく一つの形を作ることができました」(堀専務)
それが今年1月に発足した組織である。マネージメント部とマニュファクチャー部を設置、堀専務はマネージメント部の部長、そして専務に就任した。これまでは明確な組織がなく、堀社長がすべてを取り仕切ってきた。その体制を脱却するのが、自分流の初めの一歩と、堀専務は考えてきた。組織を作ることで、各人の役割分担を明確にし、より責任感を持って業務に取り組んでもらう。組織化の狙いである。
JMCを受講して、経営者の道を歩み始めた堀専務を、堀社長はどう見ているのだろうか。「創業して30年が過ぎ、そろそろ世代交代の時期だと思います。時代の流れはとても速くなり、時代に対応していくには専務たち若い人の力が必要です。専務にはJMC受講で生まれた経営者の自覚を活かして、頑張ってもらわなくてはなりません」と、堀社長は語る。
あとに託す立場から見ると、本当は歯がゆいこともたくさんあるだろう。アドバイスしたい、一言忠告したいなど葛藤があるに違いない。しかし、堀社長はただ黙って堀専務のすることを見守っている。
世代交代とは、後継者にすべてを任せ、後継者自身の成長を待つことだと信じているからだ。その信念の裏には堀専務への信頼がある。幼い頃から工場で働く自分の背中を見てきた息子なら大丈夫。父はそう確信しているのだろう。
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