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JMC修了生を訪ねて

 
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リーダーのあるべき姿を体感したJMC
取引先の笑顔を求めてモノづくりに励む
 
株式会社三神鈑金工業所 三神氏写真

株式会社 三神鈑金工業所
常務取締役
三神 一浩氏(JMC第63期)
 三神鈑金工業所が立地する名古屋市西区長先町周辺には数多くの工場が集積している。その中にあって同社は、絶えざる技術練磨と技術を支える設備増強に妥協しない姿勢に特色がある。取引先からも厚い信頼を寄せられており、その数は500社を超える。取引先からの注文が次々に持ち込まれ、製造現場は昼夜を問わず稼働を続けている。その現場のまとめ役として活躍しているのが、今回ご登場いただいた三神一浩常務。
 ご多忙な中、三神常務にモノづくりの最前線に立つまでの道のり、これからの抱負などを伺った。
本社 愛知県名古屋市西区長先町56番地
TEL 052-503-2966
創 業 明治中期
設 立 1959(昭和34)年3月
代表者 三神 毅
社員数 15名
事業内容 建築・装飾板金加工、精密板金加工、超精密プレス加工
E-mail k.mikami@mikami-bankin.co.jp
 

3代続いたモノづくりの血筋

 三神鈑金工業所は社寺の屋根に銅板を葺く建築板金に始まる。建築板金として活躍していたのは三神一浩常務の曽祖父。時代は明治、まだ三神鈑金という名はなかった。曽祖父のことは三神常務も初耳で、横で話す三神毅社長を驚きの表情で見入っていた。三神鈑金工業所として創業したのは大正末期、三神常務の祖父の時代だが、曽祖父の時代を数えるとその歴史は実に100年を超える。自分が3代目と思っていた三神常務。実は4代目という事実を知り、改めて自社の歴史の重みと自分のルーツを認識することになった。
 曽祖父から父へと3代に渡りモノづくりに心血を注いできた三神家。その血を脈々と受け継ぐ三神常務もまた、モノづくりの世界に足を踏み入れるのは至極自然のことであった。しかし大学卒業時にはモノづくりに対する思い、後継者としての意識はまだまだつぼみの状態であった。
 「いずれは父の会社に入ることになるだろうと漠然と考えていました。」と三神常務は当時を思い起こして語っている。そんな三神常務にモノづくりと後継者について、確かな意識を抱かせるようになったのが、大学卒業後の就職先であり、JMCだった。
 大学卒業を控えて、三神常務はすぐに三神鈑金工業所に入社するかどうか迷っていた。そこに知人から大手機械メーカーへの就職話が持ち上がった。迷うくらいならば父の会社への入社はまだ早いと思った三神常務は、大手機械メーカーへの就職を決めた。1993(平成5)年のことである。

多くの同業他社から学んだ4年間

 就職先では京都の営業所に配属され、営業を担当。得意先である中小製造業を回る日々を送った。
 「時はバブル崩壊後です。どこでも景気がよかった時代ではなく、得意先の業績も明暗がはっきりしてきました。業績好調なところ、不調なところの特徴を観察しているうちに、父の会社はどうだろうと思うようになりました。」
 仕事で得意先を回りながら、常に父の会社と比較をしていた三神常務。数多くのケーススタディを頭の中に入れ、将来に役立てようと決意するのだった。また得意先とのふれあいも三神常務の財産となった。父の会社が製造業を営んでいると知った得意先は、三神常務にシンパシーを抱き、モノづくりへの姿勢、経営者のあり方など、多くのアドバイスをしてくれた。
 「就職先では本当にたくさんの製造業を見ることができました。いくつかの得意先とは今も連絡をとっていて、時々京都に呼ばれて情報交換をしています。また同期入社した仲間はいつでも気が置けず、再会すると昔話に花が咲き、楽しいひと時を過ごせます。」
 営業マンとして京都の町を走り回っていた三神常務に転機が差し掛かったのは、ちょうど入社丸4年目を迎えようとしていた1997(平成9)年の初めだった。会社から転勤話が持ち上がったのだ。20代後半となり、そろそろ父の会社に戻る頃と感じはじめ、これがよい機会だと自ら決心。大手機械メーカーを退職、三神鈑金工業所へ入社した。

リーダーの責任と役割を体感

 名古屋に戻った三神常務。落ち着くまもなく次の転機がやってくる。それがJMCの受講だった。三神鈑金工業所へ入社した直後、1997(平成9)年4月のことである。
 「JMCは以前から知っていましたし、興味もありました。本格的に仕事に入ってしまうと到底時間はとれないので、受講するならば入社直後しかないと思い、受講を決めました。」
 同期で受講した仲間は三神常務を含めて11名。三神常務は一番の年長者だったが、後継者としての意識の低さを思い知らされたという。
 「まだ父の会社で仕事をしていなかったので、私の意識は会社員のままでした。それに比べてすでに後継者として社長と一緒に仕事をしている受講生の意識は、完全に経営者です。話をしていくうちに、自分も経営者としての意識を持たなくてはと強く思うようになりました。」
 会社員は給料をもらえて当たり前という感覚だが、経営者になると給料分の売上・利益を上げ続けることの大変さを知ることになる。しかし経営者以外はその大変さを決して理解できない。ゆえに経営者は孤独といわれるのである。中小企業はその規模ゆえに家族的な雰囲気を持っている。何とか家族を守っていきたい、中小企業経営者の立場や強い思い、責任の重さを実感させられることになった。
 富士山麓での研修では、三神常務がリーダーに指名された。これまで人をまとめるタイプではなかったという三神常務。戸惑いながらのリーダーであったが、与えられる課題に対して各メンバーの適性を見きわめ、試行錯誤しながらも次々と仕事を振り分け、課題を達成していった。
 「短い期間中にメンバーの適性を見きわめることが難しかったです。できるだろうと仕事を振っても、あまり進まなかったなど、見込み違いもありました。しかしそれはメンバーの責任ではなく、選んだリーダーの責任であり、リーダーはメンバーの行動をよく見て遅れがあってもフォローしていけばいいと、実際に体験して理解できました。」
 このリーダー体験は、三神常務にとって将来に向けて一つの自信となったようだ。

父たちの財産を活かし、取引先の喜びを徹底追及

 JMCを修了し、会社に戻った三神常務はすぐに製造現場に入った。
 「実際にモノづくりを体験し、それを自分の『モノ』にしないと製造業の経営はできません。まずはモノづくり。見積りなど営業、事務的な業務はその後です」という三神社長の考えからだ。
 その後約7年半、主にレーザー加工によるモノづくりひと筋に過ごした。代々続くモノづくりの血が騒ぎ始めているのかもしれない。今では製造のまとめ役として、次から次へと来る受注を振り分け、自らも加工をしている。
 「今日受注で明日納品など、とにかく短納期が多く、仕事を振るより自分で加工しているほうが圧倒的です。富士山麓での研修が活かされていませんね」と苦笑する三神常務。しかしこれも三神鈑金工業所が取引先から絶大な信頼を得ている証拠である。
 「納期の確実さは当社のモットーで、強みです。私は得意先に喜んでもらうために、これからも正確な納期はもちろん、製品の正確な加工にも一層こだわっていきたいと思います」と語る三神常務。その目の奥には温和な性格ながら内に秘める強い決意が感じられた。
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