TOP>JMCとは>JMCニュース>バックナンバー>JMC修了生を訪ねて 9/10 Vol.28

JMC修了生を訪ねて

 
▲バックナンバーへ戻る
仕事の意味を教えてくれたJMC
ただいま現場を知り尽くすべく奮闘中
 
株式会社佐々木製作所 佐々木氏写真
承元寺工業株式会社

望月 一令氏(JMC第79期)
 すぐ側には清流『興津川』が流れ、裏山ではみかんの木々が見受けられる。美しく豊かな自然の中に承元寺工業は立地している。1984(昭和59)年の創業以来、精密板金加工をはじめ、試作金型、精密部品、各種治工具の設計・製作を行い、多品種・小ロット、さらに特急・超特急(ミラクル)の短納期対応に定評がある。
 今回登場していただいた望月一令さんは、少し変わった経歴を持って承元寺工業に入社、その1年後にJMCを受講した。入社までの経緯からJMCで実際に何を感じ、どのように変わったか、今後の目標を含めお話を伺った。
本社 静岡県静岡市清水承元寺町339-1
TEL 0543-69-4104
創 業 1984(昭和59)年10月
設 立 1984(昭和59)年10月
代表者 望月 伸治
社員数 23名
事業内容 空調機部品、航空機部品、コンプレッサー部品、専用機部品、制御盤BOX、各種試作品の精密板金加工、試作金型、精密部品、各種治具の機械加工
E-mail syougenjikg@syougenji.co.jp
 

普通の後継者とは異なる道を歩む

 望月一令さんが承元寺工業に入社したのは5年前の1999(平成11)年、29歳の時だった。少年の頃より将来は父親の跡を継ごうと考えていたが、入社までは一風変わっている。
 工業高校を卒業したが、同社には入社せず、望月伸治社長の「外の世界を見て来い」という声に押され、東京へ。そこで選んだのは板金とは全く異なるグラフィックデザインの世界だった。もともと絵を描くことが好きだった一令さんが、『外の世界』をグラフィックデザインに求めたわけだ。
 学校を卒業後取引先や同業他社に就職し、数年間修行したあとに自社に戻る。後継者の一般的なパターンである。しかし一令さんは会社とは全く関係のない完全な『外の世界』に目を向けた。望月社長はより広い視野を身につけて戻ってきてほしいという期待を込めて息子を送り出した。
 東京に出てからはグラフィックデザインの魅力に引き込まれ、4年間の専門学校を経て、そのまま東京で就職。主にTVゲームの3DやCGのデザイン業務に携わり、昼夜を問わず仕事漬けの日々を8年間送った。
 好きなグラフィックデザインの仕事だったが、この間でも静岡の会社は将来自分が継ぐという意識が頭の中にあった。常に若い感覚が求められ、世代交代が早いゲーム業界で30歳を前にそろそろ戻るタイミングと判断した。望月社長と叔父の中山邦明部長の「戻って来い」との再三の要請にようやく応えることになった。
 社長の息子も全くのゼロスタート
 静岡に戻ったものの高校卒業後10年も製造の世界を離れているとかつての知識はほとんど古ぼけていた。「高校時代はドラフターでしたが、入社した頃は既にCADです。まず図面に慣れるのに苦労しました」と当時を語っている。
 望月社長や中山部長に請われて入社したが、扱いは一新入社員。社長の息子という特別扱いは一切なく、肩書きもなし。仕事は現場を一つずつ回り、各仕事を手で覚えていくものだった。
「社長の息子だからといって特別扱いはしない。これが私の方針です。現場を知らないと経営なんてできません。中小企業は社長が現場を含めすべてを把握しておく必要があります。肩書きも自分が偉くなったと勘違いしますから付けません。現場のことを身につけないうちは取引先に紹介もしません」(望月社長)と後継者育成に厳しい姿勢をとっている。
 望月社長の厳しい姿勢に当時戸惑いもあったが、今では「正直よかったと思っています。入社してすぐに管理部門に回されたら、現場の苦労を知らずに指示を出したでしょうし、それでは現場は動いてくれません。何よりも現場を知ることの大切さを今も学んでいます」と望月社長の狙いがしっかりと一令さんに伝わっている。

JMCで仕事に対する意識が変わる

 一令さんとJMCの出会いは現場で板金加工を学びはじめて1年が過ぎた2000(平成12)年。まだ板金の知識が十分でないのに受講していいのか迷ったが、受講経験者に話を聞くと、「入社したばかりの人もいるし、絶対に受講したほうがいい。」と背中を押され、受講を決めた。
 JMCを受講して一令さんは「仕事の意味を見つけることができました」と語る。『リードイン』という課題図書を読んで意見交換する講義が意識を変えた。
 「本に『アルバイトの皿洗いも皿を洗わなければお客様にきれいな皿でおいしい料理を提供できないと考えて皿を洗うと、仕事の仕方、充実感が違う』とありました。これを読み、ハッとしたのです。それまで来た仕事をただこなし、鉄板を曲げるだけで、JMCの同期にも自分の仕事が最終的にどういう製品になっているのか説明できず、恥ずかしい思いをしました。」
 受講後一令さんは作ったものがどういう製品のどこに使われるのか、興味を持ちはじめ、必ず図面をもらったら聞くようになった。そうすることで自分の仕事が人の役に立っていると実感でき、仕事への取り組み方、意識が変わった。
 「先日も取引先の工場を見学した際に、自分たちの部品が飛行機の衝突防止燈を留める輪になっているのを見てとても感動しました。」
 他には『時間管理』の大切さを学んだ。「課題に対して常に時間配分を考え、計画性を持って取り組む。時間を考えずに目先だけを追っていると必ず課題は未完成に終わります。未完成の課題を前に、講師の方に叱責されたことも今ではいい思い出です」
 現在一令さんは昨年導入したレーザー加工機を担当している。多品種小ロット・短納期を特徴とする同社で、レーザー加工は特にスポットものが多い。多くのスポットものに対し、いかに時間を配分し計画的に加工していくか、腕の見せ所である。仕事をする上で常に時間を意識する、生産性向上には不可欠な姿勢をJMCは教えてくれたと思っている。
 「工場見学もとても勉強になりました。特に深絞り技術で有名なプレス工場は印象に残っています。中小企業でも世界を相手にした仕事をしていることに感心し、私も一歩でも近づきたいと強く刺激を受けました。」

技術と人間性の向上で、期待に応える

 承元寺工業は望月社長が親戚の板金プレス加工会社を再建して、創業・設立した会社である。主に空調機部品や航空機部品、コンプレッサー部品の板金加工を行う。「当社は小ロット・短納期が最大の特徴です。1個、2個の受注でも翌日納品でも対応します。他社では嫌がる仕事も承元寺工業ならばできるとお客様に頼られています」(望月社長)と同社の強みを語る。
 最後に今後の一令さんの目標、目指したい姿を聞いてみた。
 「アマダのマシンツールプラザに優秀板金製品技能フェアの受賞製品が展示されていますが、みなその会社でしか作れないものばかりです。果たして今の当社に独自の製品や技術があるのか。残念ながら時間があればどこにでもできるものです。これからは承元寺工業にしかできない製品、または技術を持てるようになりたい。そのために自分の技術を高めるよう、いろいろと吸収していきたい」と強く語ると、望月社長が「技術を磨き他社にはない製品を作っていくと共に、一令には人間性も高めていってもらいたい。人間性を高めればいい人材も集まってくる。そこから自分の片腕となる人材を見つけていってほしい」と一令さんにいい聞かせるように語った。
▲このページのTOPへ戻る
 

Copyright 2006 AMADA JMC