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JMC修了生を訪ねて

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スタッフ、ブレーンを育て
ネット時代のニーズに適合したシステムを構築
 
有限会社松本工業 松本氏写真

有限会社 松本工業所

松本 正紀氏(JMC第43期)
 室町から戦国時代に村上水軍の根拠地として栄え、最近では造船の島として発展した因島。尾道と今治をつなぐ瀬戸内しまなみ海道も開通してさらなる発展への期待をふくらませている。その因島で1967(昭和42)年に創業したのが松本工業所。鉄骨・製缶業としてスタートをきり、昭和60年代から徐々に板金加工へとシフト、現在では板金・製缶加工の生産対応を確立させている。
 今回登場していただいた松本正紀さんは、1992(平成4)年のJMC受講と同時に入社、技能の修得につとめた後、現在ではレーザー加工を担当して生産の中核を担うにいたっている。JMC受講、企業後継の想いを語っていただいた。
本社 広島県因島市三庄町977
TEL 08452-2-1861
創 業 1967(昭和42)年
設 立 1989(平成1)年
代表者 松本 正一
社員数 7名
事業内容 船舶関連、環境機器、住宅機器等の板金・製缶加工
E-mail info@matsumotokougyo.com
 

企業の転換点を体験するために、入社を促す

 企業後継のパターンはさまざまである。本稿の『JMC修了生を訪ねて』をみてもJMC受講者の後継パターンは百態百様、企業継続の最大要件である後継に際してさまざまなドラマがあったことがわかる。しかし、後継は一時のものではなく、常に継続していくもの。入社からの経緯を常に検証していく必要がある。松本正紀さんも後継を前提に入社して11年が経過する。スピードが激しい今日において、10年の歳月は企業経営の中核を担うまでになった正紀さんの想いを語るに十分な歳月となっている。
 「地元の普通高校を卒業して、公園遊戯機器等を製作する広島県内の会社へ入社した約1年後でしたか、現場研修を受けているときに会社に戻れとの話がきたのです。父が創業した工場に子供の頃から出入りして、いつかは後を継ぐのかな、という漠然とした気持を常に持っていましたので突然のわりにはあまり驚かなかった。遅かれ早かれいつかはこの日がくることを覚悟していたのでしょうね」(正紀さん)
 正紀さんの話を受けて松本正一社長も次のようにその経緯を説明する。
 「当時は鉄骨・製缶主体から、板金加工に業態を変えつつあったのですが、その決め手としてレーザー・パンチ複合機APELIOの導入を決めたのです。この機械の導入は企業としての今後を左右する決断だっただけに、正紀を戻すのは今しかないと決めたのです。それまでは、正紀には後を継げとか、高校を卒業するときの進路に対しても本人に任せて一切口出ししませんでした。しかし、口に出さなくとも私の気持はわかってくれていたとおもいます。一度は『他人の飯』を食ったほうがいいとおもっていたのですが、企業が大きく変わるその経緯を正紀にみせてやりたいとの気持から、本人にとっては突然だったでしょうが戻るようにいったのです」
 入社にあたって、松本社長は正紀さんにJMC受講を奨めることになる。板金加工とは何かを、企業経営とは何かを、少しでも身に付けてほしいとの願いがあったためだ。正紀さんも現場に入る前に、JMCでワンクッションおくことに異存はなかった。

10年が経過してさらに高まる、JMC受講効果

 JMCの受講は1992(平成4)年、19歳のときであった。同期生は12名。最年長は25歳で、既に加工現場で活躍している人がほとんど。前・後期にわたる受講はただただ無我夢中だったと正紀さんは振り返る。
 「広島弁で自己紹介したのも無我夢中。緊張しましたね。私が最年少で社会人としての心構えもなく、学生気分が抜けないままの受講でした。ただ同期生の中には常務の肩書きを持っている人もいて、食事のあとで皆でワイワイやる雑談は、実務に即した経営に対する考えから趣味の話まで本音の話が出てそれが一番の思い出になっているし身にも入りました」(正紀さん)
 学生生活は勉学はもちろんのこと、友とのつきあいのなかから人間としての幅を広げることに意義を見いだす側面がある。JMCも同じ境遇にある同期生との交流は受講生にとって大きな財産になることが多い。正紀さんにとっても入社前にJMCでワンクッション置いたことは、同期生との交流のなかだけでもその目的を十分に満たしたことがわかる。
 「仕事に対する考え方、心構えがまったくかわりました。JMCを受講せずに入社していたら、そのままわけもなく日常に流されていたかもしれません。実際の業務に入ってみると、JMCで学んだことが改めてよみがえってくる。なかでも『ひとと同じことをするな。そして多元的な見方をしろ』という講義で聞いた言葉は今でも忘れることができない。指針のひとつにしています」(正紀さん)
 JMCの講義、実践体験は、実務に戻ったときに改めてその意義がわかってくることが多く、JMC効果のひとつとなっている。いまでも、JMCの資料を取り出すことがあるという。
 「『コストダウンの方法を考える』ということで、テーマに沿ってコストを下げるプロセスを追っていく講座がありましたが、その資料はいまでもときどき読み返すようにしています。10年経ってますますJMCの体験が活きてくるという感じです。工場見学会の印象も鮮烈に残っています。これが板金加工工場かと。工場レイアウトなど今でも参考になることが多いですね」(正紀さん)

生産システムの革新に取り組む 3次元CAD対応も

 松本工業所も正紀さんの入社を契機に10年ほど前からさらなる進展を図ってきた。多能工による生産システムに加えて、レーザー・パンチ複合機APELIOⅡ-357とNCプレスブレーキを主体とした近代的な生産システムを構築し、単品から中ロット品までの対応を図るようになった。月に流れる製品ならびに部品点数は数百点におよび、多様な形状、板厚にも十分に対応可能としている。そのなかで正紀さんが力を注いできたのが輻輳する部品を掌握し、スムーズな流れを実現させる管理システムの確立と、NC機を中心とした生産システムの構築である。自動プロ機能を充実させるとともに、BEND/CAMの導入で曲げイノベーションを推進。さらに3次元ソリッドCADシステムSheetWorks for Unfoldの導入によって3次元CADへの対応も可能とする充実ぶりである。
 「創業して30年以上が経過しますが、その間、熟練したスタッフを育て、企業運営を図ってきた父には学ぶことが多いですね。それでは、私がこれからやることは何かというと、ネット時代の生産ニーズに対応できるシステムの構築、そして父と同じように私なりのスタッフ、ブレーンを育てていくことにつきるのではないかと考えています」(正紀さん)
 JMC受講の翌年に結婚し、一昨年には第3子が誕生するなど公私ともに充実の正紀さん。30歳代を迎え事業運営の柱として多忙な毎日である。
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