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JMC修了生を訪ねて

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2工場の独立独行を目指して
『自身で考える力』を持つ人材を育成する
 
旭工業株式会社 橋本氏写真

旭工業 株式会社
専務取締役
橋本 明秀氏(JMC第55期)
 医療機器、写真フィルム現像機などの筐体やフレーム製作を主体とする旭工業の創業は、1927(昭和2)年。深絞り加工とステンレス溶接技術を得意技術としながら、精密板金とプレス加工を主体に現在の業態を築いてきた。
 今回登場していただいた橋本明秀氏は、JMC受講後、他社勤務を経て1997(平成9)年に入社。現在は営業活動と並行して、上尾、花巻の2工場の統括責任者として多忙な日々を送っている。「パソコンを携帯していれば、そこが仕事場」という橋本専務に、JMCの思い出、他社勤務時代の逸話、入社から現在までのいくつかの取り組み、さらには将来の夢などをお聞きした。
本社・工場 京都荒川区西尾久7-58-5
TEL 03-3893-3029
花巻工場 岩手県花巻市二枚橋5-348
上尾工場 埼玉県上尾市領家山下1169-4
創 業 1927(昭和2)年
設 立 1952(昭和27)年
代表者 橋本二郎
資本金 1000万円
社員数 36名
事業内容 医療機器、写真フィルム現像機、半導体関連装置、印刷機器、環境機器、食品関連機器等のフレーム、筐体、カバー、プレス部品、機械加工部品の製作。金型、治具等の製作
URL http://www.asahi-ind.co.jp/
E-mail asahi1@asahi-ind.co.jp
 

期するものがあった JMC受講

 橋本専務は1995(平成7)年、大学卒業と同時に、父である橋本二郎社長の勧めによってJMCを受講する。それまで家業と関わりをもつことが全くなかっただけに、JMC受講は板金加工業への、あわせて卒業前後に漠然と意識した後継へ向けての、文字通りの第一歩であった。JMCへの受講は期するものがあったようだ。
 「実際にJMCを受講してみると、将来に対する不安や後継に関する話題は仲間と共有できましたが、技術的なことになると全くついていけない。当然なことでしたが、実際に直面してみるとそれが自身に許せない。そのため昼休みや講座終了後など、仲間に一緒に展示場に行ってもらい板金加工機械を一から説明してもらいました。板金加工の専門書も買い込み、懸命に読み込んだものです。」
 橋本専務の旺盛な学習意欲は、JMC受講後に勤務した企業においてもいかんなく発揮されることになる。
 「入社後の初仕事は工程管理。当然のことですが、現場からは『何も知らないくせに』というつきあげがきました。現場の声に的確に対応するためには、同じ立場に立たなければいけない、という判断から自主的に機械操作から溶接までを現場で体験したのもいまでは懐かしい思い出です。この会社には『3年間だけお世話になる』という約束での入社でしたが、『3年後には慰留される人間になってみせる』という気概で働いていました。」
 ちなみに、JMC受講後は後継企業に入社するケースがほとんどで、橋本専務のように他社に就職する例はまれ。しかしJMCによって開眼されたリーダーの視点を念頭におきながらのサラリーマン生活からは得るものが多かったという。
 橋本専務にとって現在までにつながるJMC効果は、インパクト研修に代表される。問題に直面したときに自身で考え、それに基づき行動する大切さを徹底的に叩き込まれたこと、さらには、同期の仲間はもちろんのこと、アメリカ研修旅行やJMCALSを通して、期を問わぬ仲間の知遇を得たことである。
 「工場見学会や懇親会、講演会などで新たに出会う仲間は、私の場合はそのほとんどがJMCの先輩たち。諸先輩のことばの端々に、仕事に対するヒントが隠されているなど、そのふれあいは刺激的ですし、技術的な問題も気兼ねなく相談できる。あるプランを導入しようと相談したところ、『それはJMCで学習したはずだよ』。事実、その通りだった。受講当時は理解したとおもっていた講座内容も、いま実務の中で再認識している、というのが正確かもしれません。いまでも講座ノートを再読し、導入可能なものは取り込むなど加工現場の効率化に結びつけています。」

現場の仕事を肩代わりする ブレーンの育成が急務

 旭工業に入社後、まず取り組んだのが品質管理の強化であった。品質管理のスペシャリストに指導を受けることによって作業工程や加工上の課題が浮き彫りになるなど、入社間もない橋本専務にとって、自社の技術力と加工システムを熟知する最適なスタートとなった。
 もうひとつ、入社直後に橋本専務が力を注いだのが社員を対象としたパソコン教室の開催である。設計部門を除いて、パソコンを扱える社員がほとんどいなかったこと、さらには、本社工場の機械と社員のほとんどを移行して始動した上尾工場、1990(平成2)年に立ち上げた花巻工場を連動して効率化していくためにはインターネットによる新たな展開の必要性を痛感したからである。期間を限定(2カ月)して就業後に社内で開催し、橋本専務みずからが講師の任にあたった。
 現在、橋本専務の仕事は、営業と2工場の統括。受発注やお客様との連絡もメールが主体で、パソコンを携帯していれば、そこが『仕事場』という多忙な日々を送る。しかし、本社にいるだけでは見えない部分もある。
 「製造は現場がすべてですから、多いときで月のうち2週間は工場にいるようにしています。工程管理、品質管理など、工場全般のチェックはもちろんのこと、社員とはふだん顔をあわせる機会が少ないだけに、声をかけたり社員とのふれあいに最も心を砕いています。」
 橋本専務にとって現在の課題は『人材育成と新規顧客の開拓』。特に人材面は、ブレーンの育成が急務という。いまの仕事をいつまでも、ひとりで背負い続けるわけにはいかないからである。
 「近い将来の目標は、各工場が独立独行していける体制を構築していくことです。そのため私が社員によくいうことは、『指示を仰ぐだけでなく、自身で考えること』。自分で考える力、判断する力を身につけてもらうためにも、ここ数年はできるだけ仕事を任せることで、社員の意識改革を図っています。また、アマダ主催のリーダー研修を受講させることにより、リーダーとして自覚を促すなど、その成果は徐々に顕在化しており、これからが楽しみです。」

ホームページの開設により 新規顧客を獲得

 2000(平成12)年にホームページを開設したが、それがおもわぬ効果をもたらすことになる。
 「皆さん驚かれるのですが、ホームページのアクセスを通して受注をいただいたお客様が現在の売上げの2割強を占めるまでになりました。数多くの加工製品の写真を主体にして画面構成をしたこと、またアクセスしてきたお客様へ即座に対応するフットワークの軽さが、この売上げに結びついたものと自負しています。」
 最後に、将来の展望をお聞きした。
 「社員が満足感と誇りを持てる会社づくりをしていくこと。深絞り、ステンレスの溶接技術に高い評価をいただいていますが、そこに安住していると、いつかは他社に追い越されてしまいます。技術の高度化には常に留意していきたい。社員の満足感が大きければ、仕事に対するモチベーションも必然的に高まり、それが独自の技術開発に連動していく、そのようなモノづくりを目指していきたいものです。」
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