TOP>JMCとは>JMCニュース>バックナンバー>JMC修了生を訪ねて 9/10 Vol.27

JMC修了生を訪ねて

▲バックナンバーへ戻る
提案企業として、
スチールドアの加工、ノウハウを究める
 
株式会社藤建鋼 安藤氏写真
株式会社 藤建鋼
取締役
安藤 彰浩氏(JMC第61期)
 スチールドアの板金加工を行う藤建鋼の創業は、1970年(昭和45年)。
 スチールドアのみの製造にこだわる提案型企業として、着実にその地位を築いてきた。
 今回、登場していただく安藤彰浩取締役(社内での安藤氏の職責は主任である。以下、文中ではその肩書きを使わせていただく)の入社は、1996(平成8)年。現在は営業の最前線で活躍中である。「スチールドアは奥が深く、毎日が勉強」という安藤主任に、JMCの思い出を中心にスチールドアへのこだわり、提案型企業への取り組みなどをお聞きした。
本社・工場 岐阜県各務原市須衛町7-49-2
TEL 0583-70-5655
創 業 1970年(昭和45年)
設 立 1981年(昭和56年)
代表者 安藤 弘子
社員数 30名
事業内容 各種スチールドア、重量防火戸、ATドアなど鋼製建具の設計・政策
E-mail fjk@quartz.ocn.ne.jp
 

刺激的だった、仕事に対する仲間の熱意・真剣さ

 父である安藤隆前社長(1993年に逝去)が身体をこわし、長期の入院生活を送ることになったため、大学在学中から後継を視野に入れての安藤主任の歩みが始まる。卒業後、スチールドアの設計・営業のノウハウ習得のため、取引先企業に就職。当初、7年間の予定が、諸般の事情により設計に従事した4年間で退社、1996(平成8)年に藤建鋼に入社する。
 入社直後、「いまの仕事に携わっていく上で、まずは同業他社のさまざまな人と交わってもらいたかった」という安藤弘子社長の強い勧めがあって、JMCを受講する。とはいっても、本音の部分で受講に対してあるわだかまりがあった。学生時代から、集団行動に対する抵抗感があったからである。サークル活動など、『たくさんのなかの一人』を敬遠し続けてきた安藤主任が、それでも受講を決意したのは、「意欲だけは人一倍ありましたが、仕事に関しては全くの白紙状態。同じ立場の同世代の人たちは、何を考え、目指しているものは何か、非常に興味があった」ためである。
 実際に同期の仲間と相まみえたとき、まず驚かされたのは、彼らの仕事に対する熱意・真剣さであった。
 「自社の現況を語りながら、どうしたら現状を打破できるのか。加工現場で日々、取り組んでいる課題だけに会話も必然的に白熱し、真剣さを帯びてくる。機械の話になるとついていけないことが多々ありましたが、仲間のその真摯な姿勢は本当に刺激的で、仕事に対する決意を新たにしたものです。」
 講座の中で最も印象に残っているのは、深絞り技術で有名な岡野工業への工場見学。自社の加工製品に対する岡野社長の揺るぎない『自信』にはただ圧倒されるばかりで、その自信の源となっているさまざまな取り組みには目を見開かされる思いがしたという。
 「インパクト研修も、忘れられない思い出ですね。与えられた課題を解決するために、全員が同じ方向に向かって、夜も眠らずに考え、走り回る。課題を解決したときの達成感は、『たくさんのなかの一人』ではない、仲間全員が一体感を分かち合うことができた。いままでの私の経験にはなかったことでした。だからでしょうか、私の口癖の一つですが、いまも社員には『全員で同じ方向を向こうよ』といっています。」

奥が深いスチールドア 日々、挑戦の連続

 安藤主任はいま、企業発展の方策として二つのことを頑なに守り続けている。一つは一貫してスチールドアの製造にこだわり、高度技術のノウハウを究めること。
 「簡単なように見えますが、スチールドアは実に奥が深い。例えば中部・関東など地区によって建築法令が違い、地震や塩害対策、さらにはマンション、ビル、学校など、建物によって仕様も異なってきます。だからいまでも、日々、挑戦の連続ですし勉強です。受注のほぼ100%が新規品ということもあって、毎日、試作品をつくっているといっても過言ではありません。」
 もう一つは、顧客ニーズに、品質・納期・コスト面で的確に応えるため、提案型企業としてより一層の努力を傾けていくことである。
 「お客様のニーズに応えるためには、提案型の企業であることが大前提です。このためお客様が設計に取り掛かる前から、加工・構造・強度面を含めてコスト削減のためにさまざまな提案を行っています。提案するためにはノウハウの蓄積が不可欠で、まさに毎日が勉強です。提案型企業であるからには、技術の深化が必要です。焦点を定めてスチールドアの加工一本に絞り込みたい、というのが私の考えです。その目指すところは『同業他社より頭一つ抜け出る』こと。そのためにはいまの体制(社員30名)がベスト。新規顧客の開拓など、規模拡大を図ることは現在のところ考えていません。」
 入社から現在まで、安藤主任の仕事は営業一筋。仕事の流れを川にたとえるならば、安藤主任は最も川上に位置している。外部から仕入れた情報を的確に流すことが重要な任務。
 「さまざまな情報を現場に的確に伝えて、一歩でも先を見つめたモノづくりを心がけています。時間を見つけては社員と話し合いをしますし、またそれが楽しい。そのときの私の口癖は『全員プロであれ』ということ。実際に社員は皆プロ意識が旺盛で、自ら考え、何事にも能動的に取り組む姿勢が普遍的になっています。向かう方向さえ間違っていなければいい、その舵取りをするのも私の役割だと思っています。」

2年後に予定されている後継

 加工現場では、社内用の治具をつくり、それを自身の手で取り付けるなど、技術研鑽も怠りない。また年間、4点の改善目標を掲げ、期限内にクリアすることを義務づけるなど、生産性の向上にも努めている。
 「いま取り組んでいるのはスムーズにモノづくりができる環境をつくること。整理整頓や仕掛り品を効率的に流すなど、加工現場での取り組みはもちろんのこと、展開図作成の段階からそのことを念頭に置いています。工場の中にいることが楽しくなるような環境をつくりたい、というのが願いです。もう一つ、JMCでいわれた『自社の長所と短所をいち早く見つけること』。短所を知ることによって、それを長所に転換することができるからです。」
 安藤主任の現在の仕事ぶりは、安藤社長の目にはどのように映っているのだろうか。
 「ここ1~2年の動きを見ていると、次は自分が背負っていかなければいけないという意識が芽生えてきた。私にあまり決裁を仰がなくなった分、成長したと思いますね。そのベースになっているのがJMC。同業同世代の人たちとふれあった経験がベースになっていることは間違いないですね。」
 安藤社長はかねてから「65歳で引退する」と宣言、安藤主任の社長就任は、来年(2004年)度決算後の2005(平成17)年4月の予定である。
 「現場には私の同級生を、また営業には新規社員を中途採用するなど、ブレーンづくりも着々と進行中です。社長から学びたいのは、『座っていながら加工の流れから社員一人ひとりの心の動きまで、すべてに目配りができている』こと。それを自分のものにすることが、私の課題です。」
▲このページのTOPへ戻る
 

Copyright(C) 2006 AMADA JMC