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JMC修了生を訪ねて
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サラリーマン青年がJMCで
経営者の世界のドアを開く |
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株式会社共進
専務取締役
伊藤潤一氏(JMC91期) |
きっかけは1人の女性との出会いだった。結婚を決めた女性がたまたま経営者の娘ということから、経営者の道を歩み始めた青年。今回ご登場いただいた共進の伊藤潤一専務である。
サラリーマン家庭に育ち、自身も他社でサラリーマンだった伊藤専務。経営者とはまったく無縁の生活を送ってきた青年が、その第1歩を踏み出すために選んだ場がJMCだった。JMC修了からまだ日は浅いが、持ち前のガッツで工場の改善に積極的に取り組み、少しずつ成果を上げてきた。そして今も日々学習を怠ることなく、成長を続け、次世代のリーダーへの期待が高まっている。 |
本社 |
福島県いわき市小川町西小川字北反3 |
TEL |
0246-83-2627 |
設 立 |
1991(平成3)年 |
代表者 |
森 永治 |
社員数 |
15名 |
事業内容 |
搬送機器の設計・製作、精密板金加工、機械加工、焼付塗装 |
e-mail |
kyoshin@rainbow.plala.or.jp |
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義父の姿に打たれ後継の道を決心
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「自分は経営者に向いていない、会社は勘弁してくれ。これが正直な気持ちでした」と伊藤専務は結婚当時を振り返って語る。実際に伊藤専務が共進に入社したのは、結婚1年半後の2004(平成16)年8月のことだった。では一体何が伊藤専務の心を動かし、経営者への道を歩ませたのだろうか。
1つは義父の森 永治社長の奮闘振りだった。ほぼ1人で会社を切り盛りする森社長の姿を見て、伊藤専務も息子として何かしなくてはという気持ちが高まっていく。そして子どもの誕生も家族の絆を深め、入社のきっかけの1つとなった。また同社で経理を担当する妻の反対が逆に伊藤専務の負けん気に火をつけたこともあった。
「入社してくれて本当にうれしかった」と森社長は語っている。結婚後、入社してくれとは一切言わなかった。しかし最初からいずれは…と信じ続けてきた。その想いが通じたのである。「後継者ができることで、会社の信用も増すし、営業でも説得力が強くなりました」(森社長)
以前より一層意欲的になった森社長は、次世代に向けた設備投資に乗り出す。伊藤専務の入社は、同社のさらなる飛躍へのステップにもつながった。
JMCへは入社後のまだ時間に余裕のあるうちがいいだろうということで、同年10月からの受講が決まった。伊藤専務の経営者への第1歩がスタートしたわけだが、初日に早くも大きな不安に包まれてしまう。
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受講後、改善に着手し業績の向上に貢献
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「同期の人と話をしてみて、自分の知識や考え方のレベルの低さを実感しました。こんな状況で大丈夫だろうかと本当に悩みました」と伊藤専務は振り返る。
しかし、伊藤専務はわからないことは徹底的に聞けばいいと開き直り、一晩で不安を吹き飛ばしていく。それからは同期生や講師、スタッフにしつこいぐらいに質問をぶつけていき、自ら吸収していった。経営についてほとんど知識がなかった分だけ、その吸収は早く、まるで乾いたスポンジのようでもあった。
「JMCではこうしなさいというものはありません。様々なカリキュラムや人を通して、経営者になるための考え方を気づかせてくれた場でした。1つ印象に残っている言葉をあげると、『社員はお前の背中を見ている』です。社員と同じことはできない。今もこの言葉を肝に銘じています」(伊藤専務)
22日間の受講を終え、会社に戻った伊藤専務。その姿は以前と比べようもなかった。
「これほど変わるとは思ってもいませんでした。理論的になりました。会議では曖昧な部分は許さないし、工場の改善もしっかりと写真を撮影して、指摘してくる。長年会社にいて気づかなかった点を変えることができ、業績の向上にもつながりました」と森社長は伊藤専務のJMC効果について語っている。
このように森社長の評価はとても高いが、伊藤専務は現状の自分にまだまだ満足していない。
「今は社員を行動に導く難しさを実感しています。知識を与えても社員は行動してくれません。重要なのは教えることではなく、社員に行動させることなのです。曲げ工程の新人を育成中ですが、叱ることと褒めることのメリハリをつけて教育しています。ポイントは叱るときに人は責めず、方法を責めることです。これはJMCの同期生から教えてもらいました」(伊藤専務)。ヒトづくりでもJMCの経験を実践中だ。
頼もしい後継者を得た森社長は伊藤専務に対して、「これから実績を積み上げていけば自ずと社員もついてくる。焦らずにじっくりと取り組めばいい。将来は娘と二人三脚で、社員全員で夢を追いかけられるような会社にしていってもらいたい」と温かな視線を送りながら語っていた。
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